セーチェーニ鎖橋

-NA- ,United Kingdom
セーチェーニ鎖橋 セーチェーニ鎖橋 is one of the popular City located in , listed under River in -NA- ,

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セーチェーニ鎖橋(セーチェーニくさりばし、セーチェーニ・ラーンツヒード、Széchenyi Lánchíd )は、ハンガリーの首都ブダペストに架かる吊り橋である。全長380メートル。ブダペスト市内のドナウ川沿岸で最初に架かった恒常的な橋であり、西岸のブダ地区と東岸のペシュト地区(ペスト地区)を結んでいる。イングランドの技師ウィリアム・ティアニー・クラーク(William Tierney Clark)が設計し、建設はスコットランドのアダム・クラーク(のちハンガリーに帰化してクラーク・アーダーム、Clark Ádám)の監督とハンガリー人セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の支援のもとでなされた。橋の両側は彼らの名前を冠したセーチェーニ・イシュトヴァーン広場(Széchenyi István tér, 旧ルーズヴェルト広場 Roosevelt tér)とクラーク・アーダーム広場 (Clark Ádám tér)になっている。クラーク・アーダーム広場はハンガリー国内の道路の0キロメートル点となっており、原標 (Zero Kilometer Stone) が設置されている。歴史前史ブダとペシュトはドナウ川を挟んで発展した町で、それらを結ぶ橋を建設しようという試みは15世紀初頭以来、何度も見られたが、いずれも成功しなかった。恒常的な橋の代わりに使われていたのは、並べた舟の上に橋を渡す「舟橋」や、一種のフェリーを利用する「飛び橋」などであったが、いずれも冬場になると押し寄せる氷を避けるために解体された。そのかわり、その時期にはやがて凍った川を渡れるようになるので、それが橋の代わりになった。橋の建設にいたる動き19世紀になると伯爵セーチェーニ・イシュトヴァーンが恒常的な橋の建設を本格的に検討するようになる。彼が恒常的な橋の必要を痛感したのは、1820年のことだったとされている。その年の12月に父の訃報を受け取ったセーチェーニは、急いで駆けつけようと川を渡ろうとしたが、舟橋などはすでに解体されていた。その一方で、まだ川の上を歩けるほどには凍結しておらず、氷を避けて向こう岸に届けてくれる渡し守を手配するのに時間がかかった。彼はこのときの経験から、恒常的な橋の重要性を認識するようになった。セーチェーニ・イシュトヴァーンは1832年2月10日に「ブダペシュト橋同盟」を発足させ、構想の実現に向けて動き出した。「ブダペシュト」(ブダペスト)という名称が初めて使われたのは、この団体名だったとされる。同年7月にペシュト県が建設を承認すると、セーチェーニは翌月にヨーロッパにおいて架橋の技術が進んでいたイギリスに赴き、橋の視察を行なった。あわせて、メナイ橋をはじめ、多くの橋に携わった技師トーマス・テルフォードとも会見し、流氷などによって橋脚が押し流されないようにする工夫として、吊橋なら少ない橋脚でも長大な橋を架けられると助言された。

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